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卒業生インタビュー

失敗なんて考えなかった。みんなで化学反応をおこしあった日々。【1期生】山下 遥 2013年卒業(株式会社エヌ・ティ・ティ マーケティング アクト カスタマーソリューション事業推進部 コンタクトセンタビジネス部門)

ノーベル平和賞受賞者との出会い。CUBE生が扉をひらいた瞬間。

Q.
卒業してからも思い出す、CUBEでの体験は?
山下

自分自身の体験もたくさん思い出すのですが、それ以上に心に残っているのは友人たちの頑張っていた姿。
とくに印象的な出来事といえば、経済学者のムハマド・ユヌスさんに会いに行ったときのこと。就活でめちゃくちゃ忙しい時期だったのですが、仙台で行われる震災シンポジウム講演会に、みんなで夜行バスで出かけていきました。

ユヌスさんは、バングラデシュで農村の貧困層にむけて融資システムを立ち上げるなど、ソーシャルビジネスの第一人者で、ノーベル平和賞の受賞者。そんな方にお会いできたことも貴重な経験ですが、仲間のひとりの山瀬さんがユヌスさんに無謀にも手紙を渡しにいったんですよ。トイレに行こうと一人になられた隙に、駆け寄って。
彼女は、どうしてもソーシャルビジネスへの思いを伝えたくて、手紙を用意していた。でも、相手はノーベル平和賞受賞者ですから、私たちのような学生が話しかけられるような雰囲気じゃない。でも、勇気をふり絞っていったんです。

Q.
決死の覚悟ですね。
山下

本人は、頭の中が真っ白でぜんぜん憶えていないそうです。でも、周囲で見ていた私たちのほうが目に焼き付いちゃった!
「ヤマセが行ったぁー!」と(笑)。みんなが息をのんだ瞬間でした。

佐藤

山瀬さんはその手紙をきっかけに、ユヌス氏が立ち上げたグラミン銀行でのインターンシップに参加することになった。普通なら「そんな無茶なこと・・・」とブレーキを踏んでしまうのだけれど、「渡してみる」という一歩で人生が変わったりする。
本当にやりたいと思うなら、学生なんだから一歩踏み出せばいいんです。

根拠のない自信が、みんなの背中を押してくれた。

Q.
思いきって行動してみたら、状況が動き出すと。
山下

ほんとうに、ブレーキを踏むことを知らないような集団でしたね。とくに山瀬さんは暴走車みたいに頑張ってた(笑)。私はまだブレーキを踏んでいたほうですが、負けたくないっていう気持ちもあって、さらに頑張ったりして。

よく分からないけれど、みんなの中に「変われるんじゃないか」っていう根拠のない自信があって。失敗することなんて考えずに、お互いが「やったらいいじゃん」って背中を押しあっていた気がします。

Q.
いま話している山下さんも佐藤先生も、とても楽しそうです。
山下

ほんとうに楽しかったですね。私たちは一期生だったので、最初の一年はキャンパス全部が自分たちのものみたいな感覚でした。それぞれが好きな場所を確保して、一日中そこで勉強していた。だから「あの子に聞きに行きたいなら、703の教室」というように、お互いに居場所が分かっているんです。

佐藤

朝から晩11時ごろまで、ここが生活の場になっていたね。

山下

他人に言うとびっくりされるんですが、私たちはそれが普通だったから。
高校時代の同級生からは、高校4年生と言われてました(笑)。普通の大学生って、必死で勉強するってイメージはないじゃないですか。

Q.
しんどい、とは思わなかったのですか?
山下

辛いと思ったことはないです。周囲のみんなが頑張っているので、自分だけ置いてきぼりにされたくない気持ちもあったし、そのなかで一番を取りたいという気持ちもありました。

「もしかしたら、未来は変えられる?」小さなウキウキから始まった。

Q.
入学当初から、盛り上がっていたのですか?
山下

いえいえ、私は最初のうちはすごく冷めていたんですよ。もともと国公立大学志望で、CUBEは滑り止めだったので。
かたや、AO入試で入った子たちは、一緒にお花見に行ったりとか、入学式なのにもう人間関係ができている。正直「何なの?」と引いてしまったくらい(笑)。そんなこともあって、大学2年になったら別の大学に編入しようと思っていました。

佐藤

来たくて来たわけじゃなかったからね。どのタイミングで意識が変わったの?

山下

授業が始まると、いろいろな経歴の先生がいるんだなと分かってきて、そのうちに佐藤先生の話を聞いたら「自分の未来は、自分で変えられる」とかいろいろなことを言ってくれるんですよ(笑)。
当時、編入しようかと悩んでいた時に、そんな話を聞くと「ほんとうに変えられるのかな?」と。それからCUBEでの学び方についてちゃんと調べ始めたんです。

Q.
「自分の未来は変えられる」という言葉はどう受け止めたのですか?
山下

最初は、「何を言っているんだろう?」みたいな。でも、1~2割は「もしかしたら、そうなのかも」ってウキウキしている自分がいて。
もともとは慎重派だったので、いきなりブレーキ無し状態にはならないですけど(笑)、それでも卒業するときには、9~10割「自分の未来は変えられる」と思うようになっていました。私自身、4年間で大きな変化がありましたから。

きっかけは、2年生の留学。自分が動けば、環境も変わる。

Q.
自分を変えるキッカケとなったのはいつですか?
山下

2年生の夏に、短期留学でイギリスのリーズ大学に行ったとき。最初はあまり英語が話せなかったのと、訛りがきつくて聞き取れないこともあって、ホームステイ先でもコミュニケーションが取れずに引きこもっていたんです。
けれども、「一歩踏み出せば、変わる」の言葉を思い出して、日本人同士でも英語で話そうと提案したり、現地の学生にも積極的に話しかけてみた。そうしたら、相手もフレンドリーに接してくれるし、どんどん話せるようになっていった。
自分が少し動くことで環境がついてくるんだ、と実感したのはその時です。

帰国後も、ブルーマンというニューヨークのパファーマンス集団をCUBEに迎えるというイベントがあって、英語が活かせると思って広報活動に参加しました。イベント自体は東日本大震災と重なって中止になってしまったのですが、準備段階でたくさんの貴重な経験をさせてもらいました。
あの頃から、みんなで佐藤先生にくっついて、経済界の著名な方々に会わせてもらう機会もどんどん増えていったんですよね。

学生が自ら動いて、学んでいく。そのための仕組みとは。

Q.
そうやって、学生たちが自ら動き出す。後押しする仕組みのようなものがあったのでしょうか?
佐藤

まず、みんなで一緒に学ぶスタイル。たとえば、一年生のはじめは宿題が出ますが、相当な量の宿題が出る。英語の授業だったら、先生が話した宿題の意味さえ聞き取れない学生もいたりする。一人ではできないから「みんなで残ってやろう」という状況に自然となってくる。経済学だったら、分かる子が分からない子に教えてあげたり。

山下

授業は、先生と学生が一緒に作っているような感覚もありました。私たちは学生という立場だけでなく調べてきたことを先生みたいに教えたり、オープンキャンパスも学生主導で企画を作ったり。そうやって自分たちの意見が反映されると、また楽しくなってくるんですよね。
日本を代表するような企業を訪問するチャンスもたくさんありました。その時にいただいた名刺が先日ぽろっと出てきて、上司が「なんでこんなすごい人の名刺もってるの?」って(笑)。

佐藤

ここには普通の大学では考えられないほどチャンスがあるんです。社会人になってからも出会えないような人たちに会いに行ったり、インターンシップでは今までまったく知らなかった世界を見ることができる。

山下

やるかやらないかは自分次第なんですが、一回やって自信がつくともっとチャレンジしたくなる。そんなムードになってくるとやらざるを得ないというか、一人だけ動かなかったら悔しいじゃないですか。

涙なみだ、大きな達成感の、卒論days。

Q.
佐藤ゼミでも鍛えられたそうですね?
山下

ゼミのメンバーも負けずに熱かった。やはり一番の思い出は、卒論です。

佐藤

うちのゼミでは、一年かけて自分の好きなことを調べるというスタイル。最後はみんなの前でプレゼンして、評価された順位まで発表される。

山下

私のテーマは、自分が育った神戸という街。本もたくさん読みましたが、神戸について一番よく知っている人や、神戸新聞でスクール運営をされている先生にコンタクトを取ったり、神戸に本社がある企業に質問したりと徹底的に調べました。
まとめる段階では、何をどう伝えるか、論理的に構成がしっかりしているかを先生にチェックしてもらいながら、十数回は書き直しました。最後は、日本語の表現として美しくないとか、形容詞の種類が少ないとか、本当に細かく見ていただきましたよね。

佐藤

ほとんどの人は、ストーリーをまとめるところまでで時間がかかってしまうのだけれど、山下さんは日本語ブラッシュアップの段階まで到達した。

山下

日本語の表現方法で学んだことは、仕事で資料を作るときに今でも蘇ってくるんですよ。横に佐藤先生がいて「これじゃ、ダメ」って言われているような気がして(笑)。
あとはプレゼンの練習。喋るときの間の取り方や、身振り手振りまでみんなで遅くまで練習しましたね。泣いたり笑ったり、大変だったけど楽しかった。

社会で活躍するための基礎力が磨かれた。

Q.
丁寧にしっかりと身につけた力は、社会でも活かされるのでしょうね。
山下

とくにコミュニケーション方法や、チームで協力して成果を出すというスキルは、学生時代に学んだことです。そういう力って、仕事をするうえで基本的な能力ですから。今はNTT西日本グループの子会社で、フレッツ光の販売やコールセンターの受託を行っている会社に勤めていますが、現在は育児休暇中で、春から復帰予定です。

Q.
上司からの評価も高いのでしょうね。
山下

さあ、どうなんでしょうか(笑)。ポジティブだとか、細かい部分に気がつくとかは言っていただきます。学生のころから大人と接する機会が多かったので、物怖じしないからかも。
一つ思うのは、CUBEで最後までちゃんと頑張った人たちは、今もしっかり活躍しているようです。

佐藤

人それぞれ、自分の力を伸ばして戦い方はいろいろあるんです。今もっている4の力を6に伸ばして、8の相手とゲームする。大切なのは、力を伸ばすプロセスを身につけること。自分で限界を作らないことです。

Q.
CUBEの仲間や後輩たちの存在は、今でも励みになっていますか?
山下

後輩の卒論発表会はよく参加していて、頑張っている姿をみて勇気をもらっています。同級生たちとは、頻繁に会っています。主人も同じ佐藤ゼミ生なので。
みんな一緒に泣いたり笑ったり、日々頑張ってきたメンバーなので、会うとホームグラウンドに戻ってきたような気分になるんです。

Q.
それだけ濃厚な4年間だったのですね。
山下

必死に勉強して、考えて、失敗もして。そんなことを繰り返しながら、自分も周囲のメンバーも一緒に成長していた。お互いに化学反応を起こしあっているみたいな感じかな。
本当にいい4年間でした。もう一回最初からやりたいくらいですね。

勤務先や所属部署は、インタビュー当時の情報を掲載しています。
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