メッセージ
メッセージ

POLICY私たちの教育方針と理念

学部長メッセージ

広渡 潔
甲南大学教授
マネジメント創造学部 学部長
広渡 潔HIROWATARI KIYOSHI

「密林」の中に「通路」を、「道」を見出せ

甲南学園は2019年に創立100周年を迎える。平生釟三郎先生が甲南を創設した1919年はどのような時代であったか。その前年に第一次世界大戦が終わり、20年後の1939年に第二次世界大戦が始まる。この20年間は「戦間期」と呼ばれ、現代史で最も暗い時代である。大恐慌が起き失業者があふれ保護主義が蔓延し、19世紀来のグローバリゼーションが終わりを迎える。その延長線で日本にとって悲劇となった第二次世界大戦に突入していく。

しかし視点を変えれば、この戦間期は日本が興隆した時代でもあった。戦後設立された国際連盟で常任理事国に選ばれアジアを代表する「一等国」となり、また戦火で疲弊した欧州にかわって日本の産業が徐々に台頭していく。平生先生も川崎造船(現在の川崎重工業)や日本製鉄(現在の新日本製鉄)の経営者として日本の産業振興に貢献していく。産業人、経営者として目覚ましい成功を収めながら、しかし平生先生が目指した人間像はビジネスマンではなくジェントルマンであった。

おそらく平生先生は漠然とした世界の不透明感を嗅ぎ取っていたのではないか。先生が若き日を過ごした大英帝国は覇権国としての力を失い、19世紀来のグローバリゼーションが崩壊していく。新秩序が見えてこない混沌とした時代にあって、しかしながら平生先生は「教養と品格」のあるジェントルマンを求め、また軌を一にして1930年にスペインの哲学者オルテガ=イ=ガセットが「大学の使命」のなかで「教養」の復権を唱える。

『生は混沌であり、密林であり、紛糾であり、人間はその中で迷う。しかし人間の精神は、この難破、喪失の思いに対抗して、密林の中に「通路」を、「道」を見出そうと努力する。すなわち、宇宙に関する明瞭にして確固たる理念を、事物と世界の本質に関する積極的な確信を見出そうと努力する。その諸理念の総体、ないし体系こそが、言葉の真の意味における教養 [文化](la cultura)である。 』

ここに述べられた「教養」とは専門化された学問領域の間をつなぐ知の体系のなかで自らの「切り口」を見つけていく姿勢である。現代の「密林」とも言える情報化社会のなかで専門にひきこもることなく、異なる価値観を持った他者を尊重しその理解を深める姿勢でもある。こうした「心の姿勢」こそ「教養」の営みの基礎であり、まさに平生先生が「教養」だけでなく「品格」を求めた所以でもある。

甲南100周年を控え、世界ではグローバリゼーションの黄昏が囁かれている。こうした時代にあって「平生精神」の重要性は増しこそすれ減じることはない。平生先生の名を冠した唯一の学部として、「自ら学び」「共に学ぶ」姿勢で、皆さんがプロジェクト学習に飛び込み、「密林」の中に「通路」を、そして「道」を見出していくことを祈ってやまない。

理事長メッセージ

吉沢 英成
甲南学園
理事長
吉沢 英成YOSHIZAWA HIDENARI

甲南大学マネジメント創造学部の意義
― manageとは努め努めてやり遂げること ―

平生釟三郎(1866-1945)は、東京海上火災保険の中興の祖ともよばれるほど、その立て直し発展に尽力、川崎造船を社長として瀕死状態から再建し、日本製鉄の会長、社長となり経営人脈を官から民へと刷新、合理化によって増産体制をつくりあげた。これらの難事業を「大局の打算を誤らず」やり遂げる一方、有為の青年の育成に努めた。
旧制7年制 甲南高等学校の教育は大正・昭和初期にかけて多くの人物を世に輩出し、日本の近代教育史上の金字塔をうちたてた。平生はとくに「青年を引きつける力」があり、若者の意欲や天分を引き出すことに秀でていた。若者を教え自らも育つことが無上の喜びであるとも語っていた。企業の再生の偉大な経営者であるとともに、青年の魂を育てる教育家でもあった。こういうエピソードもある。平生と親交の篤かった小林一三(阪急電鉄・東宝グループの創業者・1873-1957)は、息子の成長の導きを平生に頼り、託した。平生はそのご子息の大学進学への意欲を引き出し、平生がブラジル訪問の特使となった際にも若い彼を随行させ、世界の舞台を教えた。

小林一三はよく知られているように、住宅開発、百貨店、温泉、遊園地、宝塚歌劇と結びつけて電鉄事業を展開。小林一三の創りあげた壮大なビジネスモデルである。これは東京の私鉄開発の範ともなった。小林は定点観測による市場調査を自ら敢行、東京でも舞台芸術、映画産業を事業経営の軌道にのせ、文化のビジネス化を創造し「夢の事業家」とも評された。
平生も小林も大臣を経験している。平生は文部大臣。小林は商工大臣と国務大臣(戦災復興院総裁)である。しかし両者とも短期しか務めていない。両者とも、混沌とした政局に阻まれ、彼らの先を見通す政策遂行をやり抜く能力を発揮するには至らなかった。

もし彼らの任期が年単位で長期になっていれば、わが国の教育制度も産業政策も変わっていたかもしれない。さらに「もし」がもう一つ許されるとすれば、両者が閣僚として同じ閣内で活躍したなら、両者響き合って昭和10年代の日本の歴史は、軍事中心の窮屈なものから、解放されていたかもしれない。わが国が、厳しい国際関係のなかでcreativeになんとかきりぬけ夢にむかって首尾よくやり遂げる歴史を展開したかもしれない。
数十年を隔てた今日、甲南学園はこれらの「もし」を現実のものとすべく、両者をつなぐゆかりの地の西宮北口で、甲南マネジメント創造学部、甲南CUBE西宮をたちあげた。

この21世紀、多くの「もし」を現実のものとしていこうと努め活動する学生たちの集う甲南CUBEであってほしい。

甲南大学
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