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CUBE創設を支えた人たち

「日本の未来のために教育を変えたい」。佐藤さんの強い想いが、魔法を生んだ。大学職員:石野 牧生 。CUBE在任期間:2007年6月~2013年5月末

Vol.1 学部創設の経緯

未来は自分で変えられる。

Q.
三期生が卒業を迎えた今、社会でもCUBEの評価が高まってきました。
佐藤
学生は確実に育っていますよ。一期生たちが社会に出て2年が経ち、職場でも力を発揮できるようになってきた。能力を認められて本社に配属されたり、「ピカイチの人材だ」という評価が聞こえてきたり。
石野
そうですね。それまでも、外部の方から学生の対応がいいと評価されることは多かったのですが、卒業生が社会に出てから、高く評価されることが多くなってきました。単に就職率が良いという数字の問題ではなく、佐藤さんが学生たちに言い続けてきた「未来は自分で変えられる」という言葉が、現実になっていると思います。

新学部誕生のきっかけ:「今までにない教育の場をつくる」。甲南大学の新たな試みが始まった。

Q.
学部創設の経緯をお聞かせください。
佐藤
最初に、当時の吉沢理事長と杉村学長に呼ばれたのが、2006年の夏前。西宮に新学部を創るという話があった。そこで、今までにない学部創りでよろしければ引き受けると言うことで、教育特区としてCUBEを立ち上げることになった。当初は2008年の開設予定でしたが、本当にいいものを創るならもう一年延ばさないと無理だとお願いし、2009年開設になったのです。
Q.
なぜ、甲南にとってCUBEを創ることが必要だったのでしょうか?
佐藤
正確に言うと、甲南大学にとってではなく、日本にとって必要だった。大学教育を根本的に考え直すべき時期にきていたのです。
今は、若い人たちが自分の未来に希望をもてる世の中になっていない。一生懸命に努力したら報われるとか、困っている人がいたら助けてあげるとか、本来は当たり前のことなのに、それが通らない世の中になっている。日本の未来を変えるためには、教育を変えないとだめだと。
CUBEは、日本の未来を変えていく人材を育てることを目的にした、教育改革、学校創りのプロジェクトとして始まりました。
石野
僕が開設準備室に配属されたのが、2007年6月。それまでの約一年間は、佐藤さんが若手教員を集めて勉強会をしたり、あらゆる部門の人と話をしたりと、学校づくりの全体像を描いていた時期です。
僕も、中堅職員のワーキンググループに呼ばれて新しい学部の話を聞くうちに、CUBEがめざす方向は教育のあるべき姿だと思った。日頃から日本の大学教育について違和感をおぼえていたことへの答えがここにはあるような気がしました。

構想段階:学校創りのために会うべき人・場所を訪ねて、東へ西へ。

Q.
今までにない新しい教育スタイル。どうやって構想をかためていったのですか?
佐藤
石野さんが来てから、思いつくだけのあらゆる人に会いに行ったね。おもしろい人がいると聞いたら、すぐにアポを取って。
石野
東京でもどこでも、ほぼ毎週、誰かに会いに行ったり見学したりしました。楽天の元副社長に会っておくべきだと聞いてアドバイザリーボードに入ってもらったり、千葉県にある暁星国際中学校・高等学校では学年ごとに学ぶという概念がないと聞くと見学に行ったり・・・。国立新美術館の副館長や東大卒の元プロ野球選手、「ゆとり教育」で知られた元文部省の役人、ソフトバンクのサイバー大学立ち上げの中心人物等々。アカデミーヒルズ六本木ライブラリーやIT企業のオフィスも見に行きましたね。
佐藤

日本の教育界の重鎮である、加藤寛先生や野田一夫先生にお会いしたのもこの頃。このお二人に初めて会いに行ったときは、CUBEの目指す人材育成、学校創りがどう評価されるのか緊張感がありましたよ。それでも、CUBE創設の話を聞くと大いに賛同してくださって、その後、強力なサポーターになっていただきました。

汐留にできたソフトバンクのオフィスを見学に行ったら、公園みたいな広場があったり、ほとんどがガラス張りの部屋で、取締役もフリーアドレス。CUBEのキャンパスをガラス張りにしたのは、ここを参考にさせてもらったのです。

石野
新しい学部づくりというよりは、まったくゼロからの学校づくりだったので、参考になるものは何でも吸収させてもらいました。企業の社員研修に参加させてもらったり、カリキュラムの組み方やキャンパス、システム、設備面、職員の仕事の進め方など。外部から招く教員探しも、同じ時期に動いていました。
佐藤
NTTラーニングスの社長が友人で、社員研修を見せてもらったり、新しい研修プログラムについて議論したんです。部長のテーブルの上には決めるべき課題が4つあります。しかし、部長は入院することになった。人事や投資の案件を、部長の代わりに意思決定しなさいとかね。社会に出ると正解・不正解ではなくて、物事を判断しないといけないことが山ほどありますから。そんなことも授業のなかで盛り込みたいと思いました。
石野
僕は、本当は翌年3月には文部科学省へ学部開設の申請を出さないといけないので、ペーパーワークが山ほどあって、その他にもキャンパス建築工事の打ち合わせなどでバタバタしていたのですが、佐藤さんが突然きて「東京行くぞ!」ってアポ入れてくるんですよ(笑)
佐藤
そうだったかな。でも、ペーパーワークばかりだと疲れるでしょ(笑)。一緒に行くことはプラスだと信じていたからね。
石野
確かに、新しい人と出会って新しい場所を見て。今から思えば、最もエキサイティングな時期ではありました。
佐藤
キャンパスの設計も、途中まで進んでいたものをストップして、大幅に変更を試みたのもこの頃です。設計会社に、全部の部屋をガラス張りにしないと、ドリルで壁に穴あけるぞって脅したりした(笑)。

新しい教育スタイル:新しい体制をつくることの難しさ

Q.
今まで日本の大学ができなかったこと。新たな教育スタイルを確立するという点では、反発も多かったのでは?
佐藤
周囲からの反発は想像以上にいろいろありました。でも、僕は平気だった。見ているところがまったく違ったから。既存の大学システムと戦うつもりはなくて、日本の未来のために日本の教育を変えたい。教育の方法を見直すことで、若い人たちの人生や未来が変えられることを証明したいと思っていただけです。
石野
僕は以前からイギリスのパブリックスクールの教育に共感していて、佐藤さんの話を聞いたときに目指す方向をイメージすることができました。甲南大学には、もともとそういった素養があったので、向かうべき方向なのではないかと。甲南学園の創立者である平生釟三郎について、学び直したのもこの頃です。
佐藤
僕も自伝を読み直しました。平生釟三郎は、佐久間象山や吉田松陰といった幕末の日本で教育を支えた人たちと共通するものがあります。人の育て方や心の根本において、立派な思想をもっている人だった。CUBEの英文名「Hirao School of Management」に創立者の名前が入っているのは、甲南学園建学の精神を実現するという意志が込められているからです。

高校訪問:売れない演歌歌手が少しずつ売れ出した経緯。

Q.
高校訪問は70校に足を運んだと聞いています。
石野
これもなかなか大変でした。例えて言うなら、売れない演歌歌手とマネージャーがレコード店とか飲み屋さんを一軒一軒回るようなものでした(笑)。新学部ということもあって、正直あまり対応がよくなかったのです。アポをとって訪問しているのに約束をすっぽかされたりとかね。
佐藤
「今に見ておれ」って、そんな気持ちで回り続けた、本当に演歌歌手の世界だね(笑)。でも、そんなことでめげても仕方ない。僕たちには成し遂げたいことが明確だったから、ひたすら説明して回るだけですよ。
Q.
それでも、高校生の間では少しずつファンが出てきたのですね?
石野

そうです。オープンキャンパスを何回かやり出すと、前列に同じ顔ぶれが並ぶようになってきたんです。CUBEのコンセプトに興味をもった受験生たちが集まり出して、その受験生同士がまた友だちになって。

でもね、佐藤さんはまだ決まってないことでも先に受験生に言っちゃうんです(笑)。
たとえば、吹き抜け空間の300インチの大画面を使って、入学式もやるとかね。僕たちはそんな段取りをしてないし、慌てて調整をするんです。受験生に言ってしまったことはやらないと嘘になってしまう。
いつしか、そういう仕組みができていました。佐藤さんが言ったら、それを僕たちが実現させるという(笑)。

佐藤
実現できなかったこともあるよね。「道頓堀のくいだおれ太郎くんは、AO入試でCUBEに入学するんだ」とか。くいだおれ太郎の女将が、甲南OGなので、連絡取ったりしたけど、入学してもらえませんでした。
Q.
保護者の方にもファンが多かったと聞いています。
石野
CUBEのコンセプトは、大学生を経験したことがある人に共感されるんですよ。一般的な大学生活を送っていた大人には、どこかで「もっと勉強しておけばよかった」という気持ちがあります。だから、学部説明会でも、受験生より保護者の方がうなづいてる。どんどん目が輝いてくるのが分かりました。
佐藤
お父さんに薦められて、千葉県からわざわざ受験しに来た子もいたね。入学式で、保護者の方から「先生のファンです。握手してください」って言われたりして。この頃から売れない演歌歌手が少しは売れ始めたんですよ(笑)。
石野
大学のネームバリュー以外で、親に薦められて受験するというパターンは非常にめずらしいと思います。うちより偏差値が高い大学に合格しているのに、それを蹴ってCUBEに来る子もいました。
驚いたのは、成績や偏差値でなく「この学校が好きだから」という理由で来てくれた学生が3割近くもいたということです。
佐藤
もうひとつ驚いたのは、第一志望ではなくCUBEに入学した子までが、ここで学ぶうちにCUBEのファンになっていったことです。

入試~入学式:新しいキャンパスで、早く学生を喜ばせたい

石野
本当に初年度からいい学生が集まってくれました。AO入試で101人来てくれた。通常では20~30人が普通ですから、驚異的な数字です。
佐藤
AO入試と公募入試が終わった時点で、いい学生がたくさん集まってくれたので、嬉しいな、これは行けるぞと思ったね。AO入試でだめだったけど何度も受験してくれた子もいました。
CUBEを好きになって入学した学生が、さらに学校を好きになって成長して社会に出ていく。それがCUBEのすごいところです。
石野
そこでまた、キャンパス工事の引き渡し翌日に「オープンデーやるぞ」って言っちゃったんです(笑)。僕はそういう性格だと分かっていたので止めませんでしたが、周囲は大慌てでしたよ。
佐藤
僕はもう、学生が喜ぶ顔が目に浮かぶから、早く見せてやりたいと思う訳です。物事は、できる・できないじゃない。やる価値があるかどうかで決めるものですから。僕を止めたいなら、やる価値がない理由を言ってくれと。確かに学内調整は大変だったと思うけど、そこは見ないようにしてました。
石野
ほとんどのことは佐藤さんが決めて、調整役は緒方と私。ただ、ネゴシエーションするのが私たちの仕事なので、そんなに大変なことではなかったんです。どんな時でも、佐藤さんが理事長と学長から信頼されていることが分かっていたので。
佐藤
これは自分たちのためじゃないから。学生のためや、学生の未来のためにやっていることだから、信頼されているという確信はありました。
Q.
キャンパスにやってきた学生の反応はどうでしたか?
石野

すごく喜んでましたね、IT企業のオフィスみたいだとか言って。入学前のオープンデーは、70~80人が参加してくれました。それからも、1ヵ月に2回くらいはイベントをやっていたので、入学前には半分くらいの学生が既に友だちになっていた。入学式では、CUBEの学生だけノリが違っていました。

学生たちは、もう僕の顔まで覚えている。そのせいか僕がマイクをもって「静かに!」って言うと素直に聞いてくれる。その時に自分の子どもみたいな気がしました。ちゃんと面倒みてやらないといかんなと。

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